輝け、助産師!私の助産院開業物語

今後の助産師人生に迷っているあなたへ贈る、42歳で開業して自分の道を見つけたある助産師の物語

開業前にペルー旅行へ

こんにちは。

乳房マッサージ専門「葉っぱ助産院」院長の山田葉子です🍃

 

前回は、地元に戻り、開業準備スタートとしてまずは店舗を仮契約したことを書きました。

 

happanoko.com

 

さて、その後決めていたスケジュールは、私の第二の故郷ペルーに約2週間遊びに行くことでした。

 

私は33歳の時から約2年南米にいました。

そのほとんどをペルーで過ごし、観光客としてのビザしかないのに、現地で家まで借りて住んでいました。

あちらでビザをとってずっと住んでもいいかと考えていたくらい。

 

本当に大好きでした。

それはなぜか?

私にペルー人の家族ができたからです。

 

ろくにスペイン語も話せない私を(南米はブラジル以外はスペイン語圏)、どこの馬の骨ともわからない日本人の女の子を、家族のように受け入れて過ごしてくれました。

 

特に、私のペルーでの親友ともいえる「サンドラ」は料理がとっても上手で、毎週のように私を家に呼んでくれて、色んなペルー料理を作って食べさせてくれました。

 

それから、サンドラの育ての母であるビルマおばちゃん宅に3ヶ月ほどホームステイのような形で住まわせてもらったのですが、ここの娘のサラ(日本でいうJK)とロシオ(私より1歳年上)とは、それこそしょっちゅう一緒に遊びに行ったりして姉妹のように過ごしました。

 

もちろん、私のスペイン語力なんて子供以下。

それでも全くそんな事は意に介さず、みんなべらべらと話しかけてくれて、おかげで私のスペイン語力多少あがりました。

 

こんな心の温かい、愛情たっぷりの人たちに恵まれ、ペルーで私の人生が変わったと言っても過言ではありません。

私が日本に戻ってからも、しばらくは毎年誕生日に電話をかけてくれていました。

(日本に戻ってからはスペイン語を話す機会もなく、何を言ってるのかさっぱりわかりらないけれど・・・)。

 

2022年の今でもずっと繋がりは続いています。

私がペルーを離れる2007年から、サンドラと一緒にペルーの子供たちに文房具をプレゼントする活動を始め、その後毎年「ペルーの子供たちに笑顔を送るプロジェクト」として日本の友人・知人から寄付を募り、ペルーに送っています。

※コロナ以降は休止中です。

 

日本に戻ってからも、いつかまた大好きなペルーに遊びに行きたいと思いつつ、なかなか機会がありませんでした。

 

けれど、開業を決めた時、今行かなきゃ次いつ行けるかわからない、と思い、開業前に思い切って遊びに行きました。実に7年ぶりでした。

 

7年ぶりのペルー、景色そのものはそんなに変わっていませんでした。

一番変わっていたのは、サンドラの息子たち。

私がいた頃は、15歳、14歳、7歳くらいだった3人の息子もすっかり大きくなり、ようこ、ようこ、といつも話しかけてきてくれていた末っ子のジョナタンは、反抗期でほとんどしゃべってくれなくなっていました(><)

サンドラ(右)と次男坊のディエゴ。ママをよく手伝う青年になってました。ちなみに、私が持っているお肉は「クイ」というサンドラがついさっきまで飼育していたネズミです。

 

サンドラは自宅以外にも家を借りていました。

実は、私がペルーに住んでいた時、サンドラは日本人観光客相手に自宅の一室を貸し出すホームステイを始めました。

 

私がSNS(当時はミクシー)で宿泊者を募り、連絡があった人を紹介し始めました。

私がいた頃はまだ自宅の一部を貸す程度でほんの数人来る程度だったのですが、私がペルーを去った後に来た旅行者の女性がその後ペルーに住み着き(なんと今はペルーで働いています!)、「サンドラのいえ」という名前をつけて宿を大きくしてくれました。

 

日本人が書いた字をペルー人のパパが真似て作ったというサンドラのいえの看板。あまりの上手さにびっくり。

自宅以外に借りている家は「サンドラのいえ」として、日本人旅行者のの間でなかなかの人気のある宿になっていました。サンドラの心の温かさから、その人気ぶりがよくわかります。

サンドラのいえの屋上からの風景

ずっと私の癒しだったミスティ山

それから大きく変わっていたことは、私が街を歩いても誰も声を掛けてくれなくなっていたこと(><)

 

7年前は、それはそれはモテまくってました!

日本人のほぼいない土地で、日本でも童顔と言われていた私は、あちらでは高校生と間違われてました。

 

「ようこはいつ高校を卒業するの?」なんて言われるくらい。

私、この時34歳。

普通に考えるとヤバイ。

 

街を歩けばうるさいくらいペルー人男性に声を掛けられていたのに、7年後には誰1人声を掛けてくれませんでした。

 

やはり42歳はわかるのか。

これには軽くショックを受けました。

 

まあでも、市場は変わらず至るところにあり、その中で野菜や果物が高く積まれている風景も、豚や牛や鶏がそのまま吊るされて売られている風景も、よく買っていた三角形のパンも、変わらない懐かしい風景がたくさんありました。

市場で売られている豆

サンドラは宿の宿泊者のために、ジャガイモ10キロ、人参10キロなど恐ろしい量の野菜と肉を大量に仕入れ、変わらず毎日美味しい料理を作っていました。

向かって左がビルマおばちゃん、右がサンドラ

私の滞在は1週間程度だったのですが、私が大好きだったペルー料理をこれでもか、というほど作ってくれ、ビルマおばちゃんも同様に私が好きだった料理を沢山用意してくれ、相変わらず全くわからない方言まじりギャグを言いまくってました。

 

サラやロシオともディスコに行ったり(42歳の身体には堪えた)、私が滞在した約2年の日々が戻ってきた感じでした。

ああ~、やっぱりペルーはいいな~。

左からサラ、ビルマおばちゃん、私、ロシオ

けれど、やはり現実に戻る日はやってきました。

さて、次はいつペルーに行けるのか?

また7年後に行けたらいいな。

それまでいっぱいお金貯めておこう。

 

そう思いながらペルーを経ちました。

 

☆7年ぶりのペルーでは、予想通り初めは全くスペイン語わからず、コミュニケーション取るのにだいぶ困りました。

それを助けてくれたのは、ただの旅行者からすっかり住人になった日本人女性で、彼女のおかげで今も彼らと連絡を取り合うことができています。

ここにも神がいました!

 

※たしかこの本だったと思います。広大な土地を支配し、錬金技術を持ち巨万の富を作り出していたインカ帝国が、たった50人程度のスペイン人に占有されて滅んでいった様子が物語として書かれていて、ペルーの歴史を知る大きな一助となりました。

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