輝け、助産師!私の助産院開業物語

今後の助産師人生に迷っているあなたへ贈る、42歳で開業して自分の道を見つけたある助産師の物語

乳房マッサージ研修受験を決意するまで②~日本に戻る、助産師に戻る

 

こんにちは。

乳房マッサージ専門「葉っぱ助産院」院長の山田葉子です🍃

 

前回は、近隣の開業助産師さんにダメだと言われてむっとした事、開業助産師さんが全く眼中になかったことを書きました。

 

happanoko.com

 

助産師として働く=病院で働く」しか選択肢の中になかった私ですが、それが変わったのは36~37歳の頃でした。

 

実は、乳房ケアに目覚めたのは新人の時。

助産師学校卒業後総合病院に就職し、勤務者は「妊婦係」「分娩係」「褥婦係」の3つのグループに分かれ、2か月ごとにローテーションする仕組みだったのですが、とにかく「褥婦係」が楽しかったのを覚えています。

 

毎日出産後のママさん達と話をして、母乳を一緒に頑張って少しでも出る量が増えると一緒に大喜びして、、、そんな2ヶ月は楽しくて楽しくてしょうがなかったです。

 

この新人の頃については、私の原点でもあるので、改めていつか書こうと思うのですが、最初の年から「おっぱいだけをやれたらいいのになあ・・・」と思っていました。

 

けれども、開業なんて微塵も頭になかった私。

夜勤して生活費を稼がなくちゃいけないし、助産師として生きていくなら病院勤務や夜勤は逃れられない、としか思っていませんでした。

 

けれど、褥婦係2ヶ月間以外の4ヶ月は毎日憂鬱で、もうやだな、いつ辞めようかな、、、そればかり考えていました。

 

とにかくおっちょこちょいで早合点な私は、ミスも多いし、救急時に動けないし、そんな自分が情けなくて、私この仕事向いてないよな、、、とずっと悩んでました。

 

そこで、4年勤務後に病院を退職しました。

そして、他の仕事に就いてみたり、27歳の時からは10年間海外放浪に出たりしました(これについても、後々改めて書く予定です)。

 

その海外放浪から日本に戻ってくるきっかけは、海外滞在時に現地の日本人から借りて見た日本のドラマ「1リットルの涙」。

 

これは沢尻エリカ主演の随分昔のドラマで、ある女子中学生が「脊髄小脳変性症」という病に侵され、身体の機能が低下していってしまうストーリー。

 

日本のドラマにご無沙汰だった私は、食いつくように見てしまい、エリカ様と一緒に涙を流し、すっかり主人公に肩入れしていました。

 

※涙なしでは見られません(><)検索したらこれが出てきました。

 

病院や医療に携わる人がメインではなかったけれど、主人公をサポートする人たちの場面を見ては、

 

「私もやっぱりこうして誰かに手を添えたいな」

 

涙を流しながら、そんな風に思いました。

 

そしてふと思ったことが

『やっぱり日本に帰ろう』

 

27歳で初めてワーキングホリデーで海外生活を体験してから10年間、ずっと海外移住を目指していた私にとって、日本への本格帰国を決める日が来るなんて、驚きでした。

 

『やっぱり助産師に戻ろう』

ふとそんな思いが湧いてきました。

 

これは本当に不思議な気持ちでした。

 

助産師が嫌で辞めて、きっと自分の天職は他にある、と他の仕事を探し、違う人生を探していた私が助産師に戻ろうと思うなんて、自分でも驚きました。

 

『やっぱり母乳をやりたいな』

 

これが正直な気持ちでした。

結局新人の頃に思っていたことに戻ることをはっきりと自覚した、36歳の私でした。

 

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